オープンキャンパスだの大学見学会だの進学説明会だの、やたら高校生を「進学」「大学」「キャリア」に向けて煽る機会が日常化したせいか、むしろそれらに一切背を向けて身近な教員などの勧め一発で行先決めてくる若い衆学生、なにげに増えてきている印象があります。半径弊社範囲の観測ではありますが。
そこら中で飛んだり跳ねたり、あの手この手でこれでもかと「明るい」陽キャな「大学」アピールをしまくっている昨今、そういうのに気後れしたり尻込みしたりする汎用量産型高校生若い衆のおキモチ、ってのもあるようです。「前向き」「意欲的」であること、にすでに何か定型みたいなものができていて、それが抑圧になっているような気配もあります、こちらの想像以上に。あらゆる選択肢がほら、キミのアナタの目の前に!的な煽りに食傷しているというか、どれが「正解」かわからんしとっとと決めてくれ、それでいいから、的な、今様消費者マインドというか。
高校生だけでなく、現役学生の受講科目の選択なんかにもそういう雰囲気は見え始めていて、おすすめの科目セットみたいなのないですか、的にキュレーション (ああ、イヤなもの言いです) を求めてくる例がなにげにあったりする。選択科目の幅が広いとかえって決められないらしく、あと、「出口」(この科目を取ったらこうなる) というのが具体的に示されていないと反応できない、というのもどうやら。いきおい、実際はどんなに役立たずな「資格」「免許」の類でも、それが「出口」として設定されていたら安心してホイホイ食いついてくるところも。「実利」「実用」の判断の射程距離が目先でしかなくなってる感。その場しのぎの常態化というか、文脈見なくなっていることのある現われでもあるかもしれません。
ただ、そのようにあらかじめ「セット」として提示されていることに順応している分、そのセットの〈それ以外〉という部分には想像力が及ばなくなっているらしく。〈それ以外〉がある、ということは「知ってる」ではあっても、単に情報として知っているだけで本質的に「関係ない」という「処理」でおわるらしく。