2018/05/28

私立中高一貫校、の肌ざわり

 毎年新しい学生が入ってくる。その場合、さて、高校生までの生活でこの子は、果してどのような「学校」のなじみ方をしてきたのか、それが大学に流し込まれてきてわれわれの眼前にやってきた時に、まずつかんでおきたいと思うことのひとつになっています。

 ご当地北海道だとほぼ考慮しなくていいでしょうし、まして今の勤務校だとなおのことですが、いわゆる私立の中高一貫校といった、独自の教育を施していて、しかもその地域で、あるいは場合によっては全国区での進学校といった位置づけの「学校」をくぐってきたような子については、明らかにその他の一般的な義務教育から高校へ、といった経歴の子たちと違う内面を持ってしまっています。この「違い」というのは、大学に入ってきて初めて際立ってしまうようなものでもあるようです。

 自分ごととして振り返ってみてもそれはわかる。小学校も中学も地方の地元の公立校で、それまで特に「お受験」と呼ばれるような経験はしていない。塾通いにしても、小学校の中学年くらいで親に言われてやらされた硬筆習字か、当時からほとほと苦手だった算数を近所の教諭あがりのお年寄りの自宅で見てもらっていた程度。中学になってからも、同じく苦手が明らかになった英語を、それも昨今流行りの英会話などというものでもなく、ほんとに学校の教科書に毛の生えたくらいの内容のこれまた補習程度。いや、そもそも「入試」という試練自体、高校でさえも当時の「兵庫方式」と呼ばれた内申書であらかじめ篩い分ける選抜の仕方だったもので、ペーパーの筆記試験は一応あったものの、それも内申書によって篩い分けされた上での念のための学力確認程度で、いわゆる一発勝負の緊張を強いられるようなものではありませんでした。なので、高校を出るまで、そのような「入試」も「受験」もロクに経験しないままだった、ということになります。

 私立中高一貫校の、それも全国区の名門と言われるような学校は、地元にいくつかあった。それを小学校からめざしていた子もいるにはいましたが、それもひと学年でひとりかふたり。そんな子たちにしても、後のようにわざわざ「受験」準備の塾とか予備校の類に通っていたということはなかったはずです。何より、そんな中学受験のための塾などというもの自体、近所にはなかった。いや、あったかも知れないけれども、そういう情報自体、当時の小学校まわりの情報として流通していませんでしたし、親たちにとってもほとんどそんなもの、だったでしょう。その程度に同じ地方であっても田舎ではありました、たとえ阪神間の郊外都市ではあっても。

 そのひとりかふたりの子たちは、都市銀行の銀行員の子弟とか、商社マンの息子といった家庭環境で、多くはまだ畑がそこら中にあって、むき出しで何の保護措置もとっていない肥だめ――当時の地元のもの言いで「ドツボ」さえあたりまえに通学路の脇に異臭を放っていた、そんな環境に育ったその他おおぜいの地元の子らからは明らかに別のたたずまいを漂わせていました。もっとも、転勤族の子弟という意味では自分もおそらくそんなハコに入れて区分けされていたのだとは思いますが、それでもこれまた後に問題になっていったようないじめやスクールカーストなどといった子ども同士の世間での深刻な分断の気配は、まだほとんどなかった。少なくとも、教師以下まわりの大人たちにとって問題にされるような可視化は起こっていませんでした。

 彼らがその後どんな中学高校性格を送っていったのか、その後敢えて考えることもなく、彼らの存在も忘れたままになっていましたが、その後、たまたま大学に入って、これは現役でもぐりこめたこちらより1年遅れて、そのかつて全国区の名門中高一貫校に進んでいた同級生が同じ大学の学部に入学してきたことを知って、ああ、こういうところでまた同じ場所に、という感慨を抱いたことがあります。もっともそれは、新入生の名簿か何かをたまたま見る機会があって、その中の出身高校欄(それは必ず附随していました)をインデックスに眺めているうち、どこか見覚えのある名前を発見して気づいた程度のことでしたし、ましてわざわざ顔を見に行き挨拶したりといったこともしませんでしたが、もしその頃、実際に顔を合わせて話でも交わす機会があったなら、小学校を卒業した後、彼がどのような中高生活をくぐり抜け、どのような10代を送っていたのか、その肌ざわりを間近に感じ取ることもできたのかも知れません。

 そのような全国区の、それも進学校として名うての中高一貫校出身の人がたの肌ざわりを実際に思い知るようになるのは、大学よりもむしろ大学院に入ってからだったかも知れません。本当ならば大学でもっと実感していていいはずなのですが、きっと例によって若さゆえの夢うつつで過ごしていたのでしょう、良くも悪くもそういう機会は少なかったように思います。こちらにそのような出自背景を補助線にして眼前の生身の人間を吟味するだけの枠組みが、まだ備わっていなかったということかも知れません。ともあれ、大学院の頃に初めて、そういう種類の出自背景を持った人がたを間近に、その「進学校」で実装してきたらしいある種の能力や、それに伴う人となりや性格、人づきあいの習い性みたいなものもひっくるめて、あれこれ思い知らされることになりました。

 彼らは、こちらから東京に出てゆかないことには、まず出会うことのないような人がた、であったことは間違いない。中高までは言うにおよばず、大学へも実家から通うことも当たり前で、それは同時にその実家にまつわる「地元」の人間関係や背景その他全部ひっくるめて「文化資本」としてくっついてきている。たとえば、着ている服や持ち物の類も明らかに違うものだったし、どうかすると父親の自家用車を当たり前のように乗り回していたり、またそのことに悪びれる風もない。地方出身、ありていに言って「田舎もの」の側からの視線について、彼らはこちらが逆に恥ずかしくなるくらいに意識していないように見えました。

 いま、ご当地の眼前の若い衆の間に、そのような落差や格差はひとまず見えにくい。もちろん、札幌圏とそれ以外の地域の間の学力格差は、海峡以南の全国区目線からは想定されにくいほど深刻なものですし、そこに出自来歴含めた階層の違いなどがからんでいることも、単なる経験則として以上に明らかだと思いますが、近年さらに加速されているように見えるいわゆる「お受験」沙汰や、その上に想定されている私立中高一貫校的名門進学校へのハードルの上げられ具合などは、少なくともご当地北海道のみならず、それこそトーキョーエリジウムな限られた情報環境から疎外され続けている「地方」≒トーキョー以外、の〈リアル〉からはまずはよそ事、少なくとも自分自身のそれぞれの人生を選択してゆく時に実際に考慮するような要素としては、まず考えられないようなものですし、その限りでどこかヴァーチャルな世界での「おはなし」としてしか感じることはできないようです。

 けれども、いやだからこそ、でしょう。そういう〈リアル〉が同じニッポンのこの中にあること、そしてそれらをくぐり抜けた果てに、いわゆる有名企業や大企業に象徴される「いい就職」が実際にあり、あるいはマス・メディアの銀幕に映し出される華やかな日常、絵空事な日々を現実化した「勝ち組の人生」が成り立っているらしいこと、についてうまく伝えておくこともまた、昨今の大衆化した大学に通う大学生のその他おおぜいにとっては、社会における自らの立ち位置を穏当に計測してゆけるようになるために、不可欠の「教養」の一部になっているように感じています。

 
 
 
 
 

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