2018/03/14

野良博士、地に満てり



  大学に教員として就職したいのにとてもできない、という状況があたりまえになって、うかうかともう20年近くたってしまったようです。

   いわゆる大学院の重点化が文科省の政策として導入されて、「入院」する人がたが一気に増えた。特に、人文社会系の分野での増加がはなはだしかったというのは、実感としてだけでなく、数字の上にも現れているようです。まして、少子化の流れで大学という商売自体が茨の道になりつつあるわけで、パイ自体が縮小方向に動いているのに、そこを受け皿として想定していた層を増やすように舵取りしてきていたという、誰がどう考えてもアタマおかしい施策をやってきた結果の必然。一律ひとくくりの公務員叩き、お役所糾弾はいまどき慎むべきとすら思っていますが、さすがにことこの業界、殊に大学以下高等教育に関するお上の方針だけは、後先考えずに批判したくもなるひどさです。

   任期制のポストもどんどん増えていって、30代40代で何とか職にありついている若い衆世代の教員も、その多くはすでに任期制。限られた数年の任期の間に頑張って業績を積み上げて、それを足場にさらに良い職場に、はっきり言って常勤ポストに就けるよう日々切磋琢磨しなければならない、というのが縛りになっている立場。とは言え、じゃあその間研究だけやってりゃいいかというとそんなこともなく、むしろ現実は真逆で、文科省筋からのあれこれ要求に応えにゃならん分、やたら仕事だけが増えてきている昨今の大学のこと、新たに採用したそれら任期制若い衆世代に全部丸投げ、といった事態もほんとに珍しくない惨状。やらねばならない仕事の負荷は山ほどかけられつつ、でも業績も出してゆかないことには先行き真っ暗、というのが昨今、恵まれて任期制ポストに就くことのできたアラフォー前後の若い衆世代課程号持ちの現実です。いわゆる理科系はまた事情が違うでしょうし、分野によっては、修士課程くらい出てないと民間企業の一線でも使い物にならん、と言われる世界のようで、それはそれ、重点化の効果というのもあったのかも知れませんが、こと人文社会系となるとほんとに行先のない「野良博士」が世に満ちている状況になって久しいわけで、深刻な社会問題だという声も当然出てはいるのですが、こと世間の眼からはあまり同情や共感が得られないまま、それこそ「好きでその道進んだんだから、自己責任でしょ」くらいのどんよりした気分で片づけられるのがオチ。

   なまじ博士号なんか持ってしまっている分、良くも悪くもプライドが高くなっている。まあ、無理もない。自分はこれだけ頑張って博士号まで持っているのに、どうしてそれに見合った職が得られないんだろう、大学の中に居座っている年上連中、おっさんであれおばはんであれ、博士も持ってないようなのが、これまでラクにポストにありついて、中にはロクに業績も出さないまんま、のうのうと定年を待っているようなのもいっぱいいるじゃないか、あいつらの代わりに自分が……といった鬱屈や怨念の類が自然にわだかまってくるのも人情というもの。任期制であれ非常勤であれ、大学の現場に関わっている若い衆世代の多くが、そういう種類の満たされない気持ちを抱えたまんま、少子化の状況に加えてさらにまた、昨今は「実学」だの何だのと新たな大号令がかかって混乱錯乱が一層進みつつある大学業界に、果してこのまま自分の人生を託せるものだろうか、という根本的な不安すら、彼ら彼女らの間に膨らみ始めています。



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